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あくまで貪欲なごった煮ポップ。
- 2006/05/30(Tue) -
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At War With The Mystics - The Flaming Lips (myspace)

82年にアメリカ・オクラホマで結成され、活動歴24年、今回がメジャー移籍後7作目、それ以前のインディ時代を含めると、4年ぶり通算12作目となるフレミング・リップスの新作。

前作リリース後のサマーソニックでは、あまりの素晴らしく、楽しすぎるライブ演出と素敵な音楽に感動しすぎて、こんなライブ観たことがない!と思いつつ、目を潤ませながら観たものですが、何でも最近のツアーでは、1曲目がクイーンの「Bohemian Rhapsody」のカバーに始まり、最後はブラック・サバスの「War Pigs」(!!)のカバーで終わるという、驚愕のライブ展開をしているらしく、さらにはインタヴューでは、「大きなバルーンの中に入って歌ったりもするし、期待していていいよ。」と言っているので、相変わらず、大きなバックスクリーン映像に血のりや紙ふぶき、バルーン、小道具満載、エンターテイメント満載の彼らのライブを今年のサマーソニックでも拝むことができそう・・・もうこれが観られたら、もうぶっちゃけサマーソニックはいいやってなりそうな感じで(暴言)。だって、こんな絵が目の前にあったら、まず100%奴らの手に落ちますから。わざわざ忠告するようでおこがましいんだけど、行くなら絶対に彼らのステージは観たほうがいい。そりゃー、狂ったメタリカも観たいとこなんだけども。

・・・そんなリップスなんですが。彼らは、元々すごくノイジーなインディギターロックバンドだったんですよね。サイケがかったギターロックバンドだった。ところが、名作「The Soft Bulletin」を筆頭に、ここ数作ですよね。そうしたギターロックの姿から、サイケデリックな部分を残しつつも、色彩のあるポップバンドとしての部分をどんどん披露するようになって、前作「Yoshimi Battle〜」なんかは、レコーディング・テクノロジーを駆使した機械的な部分も積極的に取り込んでて、それでいながら、相変わらずリップス印の、知的でいて、オーガニックで、とてもポップな、すごく面白く聴けた作品で。ポップって、音楽ってこんなに楽しくて面白いのかって思わせてくれて・・・歌はちょっとへろへろなんだけども(笑)。

そして、今回。一筋縄ではないごった煮ポップで、1回聴いただけでは掴み所がなかなか得られないのは相変わらず。総じて、近年のリップスを踏襲した作りと言える。前作ほどエレクトロニックな印象はなく、より温かみのある楽曲とポジティブなサウンドで、より「生」の展開へとベクトルが少し向き変わっている。個人的な感想で言うと、なんとなく今回は聴いてて、70年代ロック、その時代の生サウンドを意識したかのような感覚がところどころで出てくるのが良かったかな。でも、それもこの多彩なモノを1枚で提供してくるリップスのアルバムの感想としては、限りなく一部分的なんですよねぇ。

リップスのアルバムを聴いていて感心してしまうのは、音楽的影響の多彩さといまだ衰えないポップに対する貪欲さ。そして、そんな数々の彼らが必要とした影響を、自分たちが生み出す音とともに、彼ら自身が作った楽曲内に見事封じ込め、自分色に染め上げ、誰が聴いても、これはフレミング・リップスだ!とか、リップスの音楽だ!と、瞬時にして彼らの個性を汲み取らせて、わからせてしまうという、そんな説得力やその技術があるっていうことがすごいなぁと感心してしまいます。

このアルバムにしても、特徴的なクイーンっぽいハーモニーに始まり、70年代ギターロックにプログレ要素、果てはロックの畑とは場を異にするソウルやディスコミュージック的な部分まで踏み込んで、このアルバムにおいての新たな影響、要素として部分的に吸収してて、そんな数々の要素で構築された彼ら独特のポップイズムを耳にしながら、聴き手としては色々探っていったり、謎解きしていく作業が楽しかったりして、そういう意味でも全く飽きるということがなくて。

もちろん、こんなに心地良く、あったかく、楽しく何度も聴けてるのは、基本のソングライティングが良いからであって、このアルバムに収録されている曲がそんな風に良く書けているからっていうのが、土台にあるんだけども・・・うん、そもそも良い曲が多いんですよねぇ。そこに前述のような知的感覚の面白さが加わってて。

今作品は彼らにしては珍しく、どの音楽誌にも書いてあるように、アメリカ国家に対する政治的な言及が含まれていて、そのアルバムタイトルがその象徴なわけですけど、これはこれまで多くのミュージシャンたちがそのことを話題にし、作品にしてきた人が多い中、彼らもやっぱアメリカ人として、黙ってられないとこがあったってことなんでしょうね。
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イリノイを知る。
- 2006/05/25(Thu) -
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Come on feel the ILLINOISE - Sufjan Stevens (スタジオライブ)

ニューヨークで活動するシンガー・ソングライター、スフィヤン・スティーブンスの去年リリースされた5作目にして、「アメリカ50州シリーズ」の第2弾。この「アメリカ50州シリーズ」というのは、アメリカ50州それぞれを題材にした音楽作品を作る、という途方もない計画のこと。第1弾は彼の出身地であるミシガン州で、今回は湖を挟んでお向かいに位置するイリノイ州に。

まぁ、アホみたいに壮大な計画ですよ(笑)。日本のミュージシャンでも、1都1道2府43県それぞれをテーマにした音楽アルバムを作ろうとする勇気あるミュージシャンはいないでしょう。せいぜいはなわがベースを弾き語りするとこ止まりです(笑)。きっと、スフィヤンもその計画を思いついた時は、これが達成されたら、どんなに素晴らしいことになるだろうな、と思ったでしょうが、それを実行に移してしまった手前、もう引き下がれなくなってしまっているのもあるんでしょうか。

彼のアルバムのリリース間隔は大体2年。もしこれを達成するには、100年は要さなければいけません・・・長生きしなければなりませんねぇ。それを購入する我々も、この壮大な計画に加担する時は少々勇気のいるとこです(笑)。

しかし、そんな手につけることを躊躇する気持ちが吹っ飛んでしまうほど、このアルバムの内容の方は印象的で、稀に見る素晴らしい内容なんですよね。全22曲74分、イリノイの大草原を表したかのような壮大なドラマを展開してます。

イリノイ州・・・あんまりピンと来ませんが、アメリカ中西部にあり、州の北側はミシガン湖を臨み、その湖岸には州最大の都市はシカゴがあります。アルバムのアートワークには、それがイリノイだとわかるように、その州の代表するものが描かれていて、シカゴの巨大摩天楼だったり、アメリカの大統領のリンカーンの姿だったり、アメリカのヒーローの代名詞であるスーパーマンなどの姿がその中にあります。

大都市シカゴを中心に描かれたこのドラマは、特に他の州にないイリノイのそれとわかるような独自の音楽だったり、それとわかるお馴染みの歌だったりが特に挟み込まれたりするわけでもなく、あくまでスフィヤンペースの、室内楽的なストリングスや管楽器を交えたシンフォニーポップを展開していくわけですが、弾き語りを音楽の中心に置いた内省的で不穏な雰囲気もありながら、アメリカ人ならではの(?)、人を魅了させてくれるエンターテイメント性もアルバムの中で繰り広げられており、そこで聴いてるこっちはなんだか心躍ってしまうというか。時にはポリフォニック・スプリーなどのように、少々大風呂敷なところがある感じも良いし、プログレ的な変わった展開とともに、フレミング・リップスのような感覚で、色々な楽器が代わる代わる入ってきて、ポップに遊んでいってるような感じが良かったり。

ただ、長尺曲も交えた22曲74分のアルバム、そういうものを途中で集中力を切らさずに消化でき、時間的余裕もあるリスナーを作品が選んでしまうという空気もあって、現代っ子的には(笑)もっとコンパクトでも良いんじゃないか?という苦言を呈したくなるとこはちょっとあるかな、と。若干、聴いてて中だるみが起きてしまうことも否定はできなくて。内容が素晴らしく良いだけに、唯一そこだけが歯がゆいかも。第一弾の「ミシガン州」も確か19曲もあるようなアルバムなので、彼としては、一表題一作品を表現しきるのには、その程度のちゃんとした分量でないと、自分の中の納得のいくもの、満足するものができないのかな?っていう。

しかも、笑えるのが、アルバムも長きゃ、曲タイトルもアホみたいに長いってことで、何かギネスでも狙ってるんですか?って感じなんですけどね(笑)。

・・・どうなんでしょう?そのアルバム分量にしても、この数々の曲タイトルの無駄な長さにしても、今時送り手がそんな堪え性ない(?)感じを出しちゃうっていうのは、彼のセンス・オブ・ユーモアの1つなのか、ただ執拗な性格の真面目くんなのか、色々勘繰ったりしてしまったりするとこもあるんですけどね。

ユーモアなのか、マジなのか。その辺、よくわかんないんですよね、彼。50州制覇も本気でやる気なのかもわかんないし。やってる音楽は素晴らしいけどね。

もっとコンパクトにぱっぱ作っていかないと、「アメリカ50州シリーズ」は終わらないよ?(笑)
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My best pop song ever!!
- 2006/05/20(Sat) -


あまりに素敵なボサノヴァのイントロ、狙ったような盛り上がりとその刺激的なフック、そしてどうしようもなくキュンキュンしてしまうボーイ・ミーツ・ガール的世界。

これ多分、また後で作り直したPVだと思うんだけど(US用に?)、この映像の向こう側のスクリーンで流れてる映像だけのヴァージョンのPVがあるはずで、そっちの方がキュンキュン度が爆発でたまんないんだけどなぁ。大の大人と子供が公園を駆けずり回って、たまった落ち葉をぶつけ合って、落ち葉の山に埋もれてるやつね。
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英国のモッズも継承したアメリカ西海岸ギターポップ。
- 2006/05/17(Wed) -
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Over And Over - The 88Myspace) (スタジオライブ

ロサンゼルスのインディで活躍、盛り上がりを見せる5人組ロックバンドの、昨年出されたセカンドアルバム。

彼らのように地元レベルで活動しているようなバンドになると、ここ、日本にいてはあまりその活動状況やその反響を知ること、実感することはほとんどできないのですが、彼らが書いたバイオを読んでみると、このバンドは2003年のファーストアルバム「Kind Of Light」のリリースから、地元のメディアや音楽評論家たちのポジティブな支持を受けつつ、地道ながらも徐々にステップアップし、そこからテレビのトークショウでライブをやったり、コメディショウのタイアップソングで彼らの曲が流されるまでになったりして、そんな身近な周囲の好反応をうまく利用しながら、積極的な活動を進めているバンドとのことのようです。過去には、故エリオット・スミスやデイブ・グロール(フー・ファイターズってこと?)、スリルズのようなバンドと、彼らはライブをやったことがあるのだとか。

このバイオを読んでて、彼らはなかなかの人気者なんだな、と大きく実感したのは、このセカンドが完成して、その中に収録されている3曲をMyspaceにアップしたところ、特にこのアルバムのリーダートラック「Hide another mistake」はアップされた直後の1週間のうちに、累計2万回ものリクエスト、曲再生を記録したということで、これはローカルバンドにしてはかなりすごいんじゃないかと思いますね。

残念ながら、ここ日本ではまだ彼らの作品が日本盤としてリリースされたことはないのですが・・・これからかな。

このバンドの音楽で面白いのは、英国的な古き良き部分と、彼らのお膝元の米国西海岸的な、開放的な部分とが上手くバランス良く配合され、それが上手い具合に彼らの個性となっているとこなんですよね。

英国サイドからは、キンクスを始めとするようなモッズの、レトロなロックテイストが。それから、なんか聴いてると、Tレックスのような感じもずっとあるんだよなぁ、と思ってると、そもそもこのボーカルの歌い方がマーク・ボランに似てるじゃないか、と(笑)。一方で、地元サイドからは、カリフォルニア産パワーポップらしさが花開いてて、ジェリーフィッシュ的なひねくれ感もあったりして、そこが嬉しくもなったりして。・・・マーク・ボランが西海岸でパワーポップバンドをやると、こんな感じか?(謎)

楽曲は、終始とてもポップで、とても聴きやすくて、またすごく良質なものが多い。しかも、彼らの音楽から感じられるのは、ただ単にポップで痛快に楽しく演奏しているというよりは、どこかちょっとシニカルで、ある時はポップに対して批判的に、彼ら自身ポップミュージックを彼らなりに厳しく見ているとこも何となく感じられるようなとこもあるような気がして(それが英国的なのかもしれない。)、そのフィルターを通した後だからこそ、より良いポップミュージックを作り出してるっていう感覚はあるんじゃないかなぁ、と思ったりもするんですけどね。その辺の手厳しさや自分たちの基準みたいなものは、彼らは持ってるんじゃないかなぁって気はします。じゃなかったら、彼らはこんな気位を持ったバンドじゃなくて、ただの痛快なギターポップバンドだったんじゃないかなぁと思うから。・・・まぁ、きっと彼らもまた「素敵なオタクさん」なんだと思うけどね。

そんな音楽に対する拘りや一筋縄ではないとこが感じられるのが良いですよねぇ、このバンドは。
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こりゃ、1つ化けたな。
- 2006/05/14(Sun) -
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You See Colours - Delays (Myspace

次でどういう解答を出してくるのか非常に興味を持っていた英国の4人組バンドの2作目。

このディレイズ、同じくラフトレードに所属するアイルランド・ダブリンのバンドのハル、それからその同郷バンドのスリルズのようなバンドは、それぞれに音楽の色は違うものの、こうしたバンドたちに個人的には1つ思い入れが深い。というのも、いわゆるトレンドとはかけ離れた場所で、健気にも独自の良質な音楽を届けてくれる、自分にとってはとてもとてもありがたい存在だからだ。

例えば、これが10数年もの歴史を持つベテラン、ベル・アンド・セバスチャンクラスのバンドだと、このカテゴリーと同義で括られるとしても、こちらとしてはまた心の持ち様が違う。なぜなら、その独特な異彩を放ちながらも、すでに説得力を持った、確立したスタイルを保っている揺ぎ無い存在という意味で、ある意味世間的にも認められているから。もちろん、個人的にも認めてる。

しかしながら、前者で挙げたバンドはまだアルバム作品を1、2枚しか出してない、まだまだこれから1つも2つも変化のありそうな発展途上のダイヤの原石。その点、この先成長が楽しみでありながら、途中で潰れないで、その音楽性を広げながら大事に育ってほしいと祈るような気持ちもあって、そういう意味で次の作品を心待ちにするような存在。だから、それまでどんな過程を経て、結果、次でどんな絵を描いてくるのか、いつも非常に興味深く待っている。そしてその音が到着して、聴いた時、音楽シーンの立場上、ある意味一匹狼でなければならないだろう彼らバンドの生命力、息の長さもそこで測れるような気もしてならない。そこにも興味がある。一過性の存在ではあまりに惜しい。

前作「Faded Seaside Glamour」では、メロディの綺麗なネオアコ的な楽曲がキラキラした音空間に彩られ、さらに特徴的な女声のようなハイトーンボイスがその中を舞う、というような非常に特徴的な作品でした。

雑誌のインタビューでは、「セカンドアルバムでダークな方向へシフトしていくバンドが多い中、僕たちのアルバムは喜びに溢れるようなアルバムになったよ。」と言っていた彼ら。

それが今回どうなったのか。最初、オフィシャルサイトだったか、CD屋さんで試聴した時は正直、良くも悪くもビックリした。ネオアコを基調としていると思っていったバンドの楽曲から、いきなり冒頭からものすごいエレクトリックなサウンドが飛び出し、思いっきり下4つ打ちのディスコチューンを展開していたわけだから(笑)。それがアルバムのリーダートラックの「Valentine」だったわけだけど。アルバムタイトルとアルバムジャケからして、どんな形であれ、よりカラフルなものを目指したことは音を聴かずとも明白だったわけだけど、まさかこうくるとはねぇ・・・。幾分ショックだったんですよ、正直な話。

それから、しばらくアルバム全体を聴いていて、その意味を理解してからは、これは奴らはやりやがったなぁ、と思って(笑)。前述のインタヴューのような自分たちの理想に向かって、ヴァラエティに富んだ形でチャレンジして、最終的に「化けた」んですよ、このバンド・・・そう受け取れました。

音楽がドリーミーなのは相変わらずにしても、前作よりまたさらに聴きやすくなっていると思います。ちゃんと聴いてみて、あ、思ってたより、これはちゃんと前作の延長線上の音楽なんだなぁ、と確認、また親近感がまた沸きつつも(まぁ、同じ人たちが創作して表現してるんだからっていうのもあるけど。)、今回は前作にあったようなキラキラしたサウンドの裏側に潜むダークさは若干薄れ、明るく、生きた躍動感がこのアルバムを覆っていて、その突き抜けていくポップさがすごく気持ち良いんですよね。作品の色合いはいくつもの原色が絡み合ったカラフルさで(・・・ってことはあのジャケ?)、とても艶やかで、聴いててどんどん吸い込まれていくようで、そんな吸引力の強化がまたより魅力的。

そして、更なるテクノロジーの導入という話題云々以前に、最もこのアルバムで顕著で言及しておかなければならないのが、ロックバンド的側面が前作時より随分強化されていたことなんですよね。鍵盤だったり、エレクトリックな側面が、先ほども言ったように、作品では冒頭からまるでセールスポイントであるかのように、一層際立って印象に強く残りつつ、それと同じように音楽の中心となるロックバンドとしての音も、意識的に負けないように演奏し、しっかり打ち鳴らすようにしていて・・・実は、このバンドのキモは「ロックバンド」だったんだね、というような。そこに大きな驚きがあった。

よって、時に刺激的で勢いづかせるエレクトロ、または全体的に覆う有機的なハーモニーサウンド、そしてしっかり波打つ生身のロックサウンドの双方が、拮抗するという形で共鳴しあい、それでいて上手く溶け合っている。そして、その辺から得た音のメリハリは、アルバム作品としてキュッと締まり、よりしなやかでタフな印象を抱かせた上で、力強くも映りながら、爽快感までも一緒に増している。きっと制作中、気を使っていただろうその辺のバランス感覚がこの作品の大事な支柱だったりもする。生来の自分たちの個性をアピールしながらも、そこが絶妙だったと思う。これで文句を言われたら、しょうがないと思う(笑)。

とにかく、このバンドはここで1つ化けた。そして、このバンドの可能性や生命力は確かなものだったと確認した。
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アメリカンロックの良心が伝える普遍的ラブソング。
- 2006/05/10(Wed) -
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Let Love In - Goo Goo Dolls (Myspace)

アメリカ・バッファローの3人組ロックバンドの4年ぶり8作目。

1986年にこのバンドを結成させた彼ら。地元のクラブを回っているうちに、徐々に人気を集めるようになり、翌年87年に地元インディレーベルからファーストアルバム「Goo Goo Dolls」でデビュー。その後、LAの有力インディレーベル、メタル・ブレイドと契約を結び、89年にはセカンドアルバムの「JED」をリリース。この頃の彼らは、今の彼らの音楽とは大きく異なる、床を転げまわって楽器を弾くような超剛速球パンクバンドで、ギターのジョンとベースのロビーのダブルボーカルで叫び合うという、今の艶やかで落ち着いた雰囲気はまるでなし。後追いで遡って彼らのアルバムを聴いてきたファンは、ここで彼らのあまりのやんちゃっぷりに驚くこと間違いなしの時期(笑)。

90年にはサードアルバム「Hold Me Up」をリリース。ここら辺を基点にして、彼らの音楽に徐々に変化が訪れます。これまでの猪突猛進っぷりが穏やかになってきて、その後の楽曲へ向かう原型のような形を見せ始めます。ソングライティング力も向上したのか、聴かせるような曲もぽつぽつ登場。それが功を奏してか、ファンもさらに獲得していくことに成功します。

急速にスターダムに駆け上がり始めたのが、93年に4作目の「Superstar Car Wash」の頃で、この頃にはホールをヘッドライナーで回れるほどの人気を得つつあったのだとか。この頃になると、速度のある荒削りのポップパンクから速度の緩くなったパワーポップ的ニュアンスへと移り変わり、プラス、アメリカンロックバンドとしての大らかさも滲み出るようになってきます。

その人気がさらに爆発したのが、その次の作品、5作目の「A Boy named Goo」。そこに収録されている、良質なアコースティックソングであった「Name」が、なんとシングルチャートで全米最高5位までに食い込み、その勢いにつられて、アルバムの方も200万枚以上ものセールスを獲得するという結果を得ます。これを機に、このバンドがメロディの優れた良心的なアメリカンロックバンドとして全国的に大きな支持をされていくようになります。

その後もその人気の勢いは衰えることもなく、ついにはメジャーのワーナーとの契約を果たし、程なくして、彼らの曲「Iris」が、ニコラス・ケイジとメグ・ライアン共演した「シティ・オブ・エンジェル」の主題歌に抜擢され、「Name」以上の超爆発的な人気と支持を獲得。後にグラミー賞にもノミネートもされたその曲が収録されたアルバム「Dizzy Up The Girl」は前作の倍以上、全米で500万枚ものセールスをあげ、その人気を全く揺ぎ無いものとします。日本でもここで注目が大きく向けられ、このアルバムで洋楽では大ヒットといって良い10万枚ものセールスをあげたのだとか。

その4年後に出された「Gutterflower」も、前作の延長線上を行く安定した作品で、スマッシュヒットをし、当たり前のようにメジャーの風格と安定を獲得することになります。・・・・そして、豪雨の中で撮られた地元でのライブ作品「Live In Buffalo」を経て、今回の8枚目があるということで。

このバンドで面白いと思うのは、やっぱこれまで変化してきた彼らの音楽変遷なんですよね。超がつくほどのパンクバンドが、時間をかけて成熟していき、今や人気曲をたくさん有するメジャー級歌謡ロックバンドへとなっていくのですから、面白いものです。

その変遷の中で個人的に一番最もロックバンドとしてクールに思っていたのが、「Superstar Car Wash」〜「A Boy Named Goo」の頃で、一番個人的に美味な時期でした。かなり衝撃的に、すごく良いアルバムに出会ったなぁって感じで。この時期のアルバムに接したことによって、僕の中ではグー・グー・ドールズっていうのは非常に大きくなっていったんですが、そうやって変化していったバンドがその状態のままでいるわけもなく、さらにバンドは成長し、大人びた方向へと向かっていくんですよね。

彼らの代表曲にして超名曲「Iris」も収録した「Dizzy Up The Girl」以降の作品は、ソングライティングにさらに磨きがかかってきて、彼らは必然的に良い曲を量産して、スケール感のある正統派アメリカンロックバンドとして、どんどん精度が増していきました。一方で、以前まであったものを失っていく部分もあって、今となっては、「Superstar Car Wash」に垣間見えたようなパワーポップ的感覚や、「A Boy Named Goo」に収録されていた「Long way down」のようなギターロックの衝動性が恋しいのはもう、どうしようもないんですけど(笑)。

しかしながら、そうした最大公約数的にみんながみんな気持ちよく聴けそうな、普遍性を持った音楽をいつも説得力を持ってやっていける、というのはほんとに選ばれたバンドしかやることができません。これもまた、音楽の究極の形を追求するやり方のうちの1つとして成り立つことでしょう。それを今回もまた、それをさらに出来る限り徹底した形でやってみせて証明してるのが、このアルバムだと思います。

大成功を遂げた「Dizzy Up The Girl」から続いたプロデューサー、ロブ・カヴァロに変わって、今回はグレン・バラードに交代。スローからミドルの曲を、豊潤なサウンドで身を包んだラブソングで大方を固め、収録時間も11曲42分というポップアルバムとしては理想的なサイズ、当然、抜かりのないプロダクションに、ちゃんとメロディに注意を払われたソングライティング、アコギを弾きながら美声を聞かせる男前のジョニー、そして今回もハズしのない美しい女性が写ったアルバムアートワーク・・・どうだ!(笑)

あえて欠点として言えば、そこまで強力にロック的なインパクトを狙ったようなものではないため、このアルバムを聴いて、刺激が足りない風に思える人も中にはいるかもしれませんが、そこはなんとなく聴いてると、彼らが運ぶ大らかなサウンドと歌に普通に和んで、黙らせてしまう雰囲気があるのが、やはりこのバンドの実力と魅力。

このバンドはそもそもボーカリストが2人いて、これまでずっとお互いの特性を生かしつつ、交互で自分が作ったそれぞれの曲を歌い合う、という姿があったのですが、近年、ダミ声でこのバンドの勢いのあるロックな部分を歌うロビーのボーカルより、しっかり楽曲の歌心をきれいに聴かせられるジョンのボーカルの曲の方へと、アルバム収録曲の比重が大きく傾いてしまっていて、そこら辺、今のバンドの環境や状況を素直に物語っている気がしますな。
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オルタナカントリー発のギターポップミュージシャン。
- 2006/05/04(Thu) -
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The Believer (Ecard) - Rhett Miller

テキサスのオルタナカントリーバンド、オールド97'sのボーカリスト、レットミラーによるソロ作品2作目。1作目ではなかなかやろうと思ってもできない全面顔ジャケを、今回の作品に至っては、ソファーに座って、クールにポーズを決める美形な王子様なわけなんですが・・・(笑)。なんかこのジャケを見て、ふとジョー・リン・ターナーを思い出してしまったのは・・・僕だけなんでしょうな。なんとなく、この王子様な雰囲気と醸し出すオーラがとても似てる気がしました(笑)。紫のシャツがクールです。

それはさておき。レットは93年に結成され、97年にはメジャーのエレクトラと契約し、これまで5枚もの作品をリリースしてきたオールド97‘sのボーカリスト。カントリーやフォーク、ブルースなどのアメリカの古き良きルーツミュージックを、現在のロックサウンドで演じることで、また新たな装いで、新しいアメリカンロックとして提唱したのが、この「オルタナティブ・カントリー」というジャンルだったわけなんですけど、90年代中盤にはこの試みが大きく評価されるようになり、ジェイホークスやウィルコなどといったバンドがクールなバンドとして迎えられていたのです。過去にウィスキータウンというバンドに在籍し、その後ソロで大きな飛躍を遂げ、絶大な評価を得たライアン・アダムスも元はこのジャンルの人で、今でもそういうルーツミュージックを大きくクローズアップした音楽をやっていますね。オールド97'sもそのバンドの中の1つで、日本では全くの無名ですが、アメリカではかなり評価されているバンドみたいです(今でも普通に活動中)。

そんなキャリアを持つレットがソロ作品をリリースするべく、ジョン・ブライオンと組んで、ファーストソロアルバムをメジャーからリリースしたのが2002年。ジョン・ブライオンという人は、あの元ジェリーフィッシュのジェイソン・フォークナーと、グレイズというバンドを組んでた人で、その後、フィオナ・アップルやエイミー・マン、エリオット・スミス、ルーファス・ウェインライトなどといった人の作品を手がけ、有名になった人です。ジョンはわりとポップで親しみやすい作品を作り上げるプロデューサーとして有名なのですが、自身も「Meaningless」という唯一のソロ作品を出していて、それが一部のリスナーからはギターポップの名盤として認められていて、個人的にもすごく好きな作品なんですよね。

そんな2人が協力し合うことによって、楽曲を完成度の高く、瑞々しいポップソングへと導き、その音の調べの上をラブソングで綴っていく王子様、という構図で(笑)、日本でも注目を受け、来日公演も黄色い声援が多い中(笑)、行われたという。

そして今回が2作目。プロデューサーには、ブラック・クロウズやジェイホークス、トム・ペティにプライマル・スクリームも手がけてきたというジョージ・ドラコリアスという人物を迎え、制作。バックの演奏には、前作同様、ジョン・ブライオンを含め、名の知れたバンドで演奏したこともあるようなキャリアのある腕利きのミュージシャンたちで布陣を固め、さらにはジェイホークスのメンバーやレイチェル・ヤマガタもゲストに迎え、豪華メンバーたちにより制作するという、気合の入れ様。

アルバムタイトルにもなっている「The Believer」というのは、収録されている楽曲の1曲なのですが、その曲はエリオット・スミスが亡くなったことを知った時に書いた楽曲なんだそうで、実はレット自身も、14歳の時に一度自殺未遂を起こしたことがあるらしく(驚)、今回はそんな曲が表題となんているからには、そりゃー幾分暗い雰囲気になってるのかと思いきや、これが拍子抜けしてしまうほど逆で(笑)、むしろそうした暗い出来事や事実の数々が反面教師になっているのか、音楽は前作同様・・・いや、前作以上に愛に包まれた優しい雰囲気に包まれたギターポップの良作に仕上がっているという感じ。暗い話に神妙にならず、自然と明るく振舞い、「人生って素晴らしいはずなんだ!」みたいな感じのニュアンスに、音の感じからはそう受け取れます。

今回もまた、彼の出元であるカントリーやフォーク的な部分、そしてギターも途中でドライブしてしまうような王道的なアメリカンロックの部分がやはり多くの場所で散見できますが、それ以上に歌心を持った、親しみやすく、素敵なギターポップ作品、素直に安心して聴ける歌がつまった作品である、という印象が強く、そこら辺が自分に良いように響いてる感じで。個人的には、前述のジョンのソロ作に収録されていた「I believe she's lying」が収録されているのが嬉しかったです。とても良い曲なので。はい。

やっぱこのアルバムを聴いてて思うのは、豪華布陣でバックアップされた功績が大きいかな、というのは思いますね。レット自身が先頭に立って、自分の作品を自分で何から何まで積極的にプロデュースしていった、というよりは、みんなの力を借りて、逆に自分をプロデュースされていったという匂いが聴いててすごくしてて、それが素直に作品として成功してる、という趣。こういうやり方もとてもスマートな1つのやり方としてありなんだなー、と思いました。
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バンバババンゴー!
- 2006/05/01(Mon) -
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Whatever People Say I Am, That's I'm Not - Arctic Monkeysスタジオライブ

ご存知、急速に社会現象と化してる新人バンド、アークティック・モンキーズのデビュー作。

結成は2002年の暮れ。そこから、ライブ活動やライブ会場で録ったデモを配るなどをして地道な活動を繰り広げてきた彼ら。2005年に入ると、その活動が実を結んでくる。デモを聴いて興味を持った人たちがオンライン上でその音源を公開して、そのクチコミによって、ものすごい加速度的にその存在を知らしめていくことになっていく。その後、ドミノというインディレーベルと契約。

初めてのUKツアーを行う頃には、最初にブッキングしていた会場ではキャパシティが間に合わず、デビュー前の新人としては異例の会場選びが行われる。そうしてまでもチケットはどこも完売。インターネット上の口コミによって広がり、それで知ったファンたちは、もうすでに彼らのほとんどの曲を熟知していて、デビュー前にもかかわらず、会場では大合唱が起きているという、今までになかった現象があったとか。

同じ頃にリリースされたデビューシングル「I bet you look good on the dance floor」はUKシングルチャート1位を獲得。その後、行われたアメリカでのライブでも、すでに人気が飛び火していて、会場をより大きな場所へ変更せざる終えない事態を引き起こし、そのアメリカの後に行われた来日公演でもチケットが即日完売、その後、昼夜2回公演にするものの、やはり完売。

その翌年である今年の1月、デビューアルバム「Whatever People Say I Am, That's I'm Not」がリリースされ、本国では発売直後の1週間の間に36万枚以上を売り上げて、インディレベルのミュージシャンにもかかわらず、これまでのデビュー作発売週売り上げの記録を塗り替えてしまう。当然、初登場1位で、その後、4週に渡って1位を保持する。現在は100万枚の売り上げを獲得し、この20歳そこそこのとても若い新人バンドが、現在のロックミュージックの話題の中心となっている。

アルバムを聴いてみると、必然的に次に待っていたロックミュージックだったという印象が強い。どんぴしゃで時代にハマるというのはこういうことなんだな、と思い知らされる。正直、この2、3年ほど起こっていたニューウェイブ現象は、いくつか好きなバンドがあったとはいえ、少々食傷気味になっていたところがあって、彼らの音楽はそれを衝動的に、かつ痛快にそれらを打ち破るにはあまりに全てを整え、備えていた音楽だった。

彼らの音楽は決して、時代の本流から全く外れたところから出てきた、いわゆる「ひょうたんから駒」で世間が脅かされたような音楽ではない。なぜなら、2000年に入ってから時代の寵児として愛されたストロークスの70年代的スタイリッシュさ、リバティーンズの若い世代を象徴したかのようなやさぐれ感、フランツ以降の80年代的ニューウェイブノリなどが、全てこの音楽には理想的に、バランス良く内包されているからだ。その上で、自分たちの肉体的グルーヴと楽曲のフックをたくさん盛り込んで、聴衆を狂喜の渦に落とし込んでいる。

僕がこのバンドを聴いて、まず魅力に感じたのは聴き手をみんなサルにしてしまうフックの数の多さ。このフックの数の多さや曲展開の変化の多さは少々珍しく、突出もしてる。軽くリズミックに往なしたかと思えば、その次の瞬間には大きく歪ませて突き進んだり。ドラムもそこに飛び込んでいくように叩きながらも、タイトにキープしようとその懸命さも伝えてくる。ボーカルは若干性急で、ハスキーでラフな歌い方ながらも、きれいに韻を踏んで、キメるとこはばっちりカッコ良くキメ、後方からの掛け声のようなコーラスが入れば、聞き手の気分も高揚せざるおえない。そうした気の引き方のテクニックが異常に上手い。そのせいで小気味良くさくさく進んでいく上に、その癖のあるリズム感覚とフックの気持ち良さからは離れがたくなってしまって、数多くのリピーターを生み出してしまうという作り。

最も良いのは、ポップで親しみやすいとこがありながら、どかどかフックを盛り込んでくる割には、変にベタベタした感じがなく、ある一定の距離感というか、むしろ少し突きなした感じがあるのがすごくクールで、それら辺、英国のバンドらしいといえば、らしいかな、と思うとこ。

さらに小憎たらしいのは(笑)、前述のような楽曲作りのテクニックばかりに頼らず、最も基本的なソンライティングセンス、メロディを大事にした良い曲のあり方もきっちりと把握し、それをアルバムの後半あたりでしっかり披露してるとこ。例えば、「Murdy bum」とか、「From the ritz to the rubble」のような。そこに昨今に多い1枚や2枚のアルバムで枯れていってしまうようなバンドとは1つ違うような、このバンドの将来に希望も乗せてる。

いきなり頂点に立ってしまったこのバンド、この先どうなるものか、どう変化してバンドを維持、発展していくのかと興味を引くところだけども、とりあえず、このアルバムがあまりに出来すぎたファーストアルバムらしいファーストアルバムということは間違いない。

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